「江戸近郊道しるべ」村尾嘉陵

気ままな道草

「江戸近郊道しるべ」村尾嘉陵著(東洋文庫・平凡社刊)

昔の人にできて、今の人にできないこと。それは、時間を、空間を、遊ぶことだろう。 東京路上観察の今昔物語とでもいうか、これは、面白い。村尾嘉陵、清水徳川家の家臣、1760年生。

元気なジイサマがいた。73歳で「往返凡18里ばかり」、約70キロのハイキングをやってのけている。 江戸の西郊のさらに西部が武蔵野だった。西郊行は、帰途は夕日を背に受けながの、実に優雅な道草の記である。
午前4時に麹町三番町(現千代田区九段南2丁目)の自宅を出て、中野から高円寺、善福寺周辺をたずね天沼、上落合、市ヶ谷を経て帰宅したのが午後6時。もちろん徒歩である。 日帰りかせいぜい1泊ほどの、弁当と酒少々持参の遠足であるが、こんな調子で東京、埼玉、千葉、神奈川へと足を延ばす。一人で、あるいは同僚を連れだって気ままに歩く。 社寺参詣が殆どだが、それが目的というほどのものでもないらしい。歩いて、風物を眺めるのが好きなのだ。
だから細かいところまで書きとめる。道端の醤油樽に押されたマークまで写している。 風流だから歌も詠む。碑文・扁額を読み、土地の人に事跡の来歴を問う。草木を記し地勢をうかがい、絵筆をとり地図も残している。仏像を評し、案内板の不実記載を批判する。

と言ってこのジイサマ、頑迷固陋なのではない。誇張と虚言が嫌いなのだ。木の実を拾って幼い者への土産にしたり、孫が無事生まれたと埼玉県戸田の寺までお礼に出かけたりする家庭人なのである。
もし、この紀行文と現在の「江戸近郊」を重ね合わせようとするなら、私たちは、まずビルを取り壊し、小川を通し、田畑や藪を復し、電車や自動車を取り除き、もっと不便にそして非衛生的にしなければならない。 にもかかわらずこのジイサマが歩いた道筋を、あるいはその心地を味わいたいと感じるとすれば、考えてみるのもいいだろう。それはなぜなのか、と。

軽兵衛