鉄塔 武蔵野線:銀林みのる

鉄塔の表情

春浅い東京の空の下、屋根や軒先から突き出した何本ものアンテナを見つめていると、不思議な感情が湧いてきます。 通いなれた駅までの道すがら、昨日とどこといって変わったところもない。林立する銀色の鋼の直線と直線の交差群が、風に微かに震えるように光っているだけです。 見上げる、という行為のせいでしょうか。無機質でどれもこれも特徴のない、同じ形とばかり見えていたアンテナにもその長さ、方向、枝アンテナの有無など、家ごとに少しずつ違っていることに気がつくのです。
個性をもつといえば大げさに過ぎるかもしれませんが、わずかに浮きだしてきた表情に名前を付けてみましょうか。太郎くんでも、花子さんでもいい。 隣の屋根のアンテナとは別の呼び名を心に決めて見つめてみます。そうすると、その太郎アンテナや花子アンテナと、ある秘密めいた関係――屋根の下の人々も知らない――を結び合える気がするのです。

5年生の「わたし」こと環見晴くんと友達のアキラくんの高圧送電・武蔵野八一鉄塔から一号鉄塔までの「路上観察」的冒険物語。
鉄塔にもいろんな顔があって、婆ちゃん鉄塔や料理長鉄塔、ピッコロ鉄塔、アキラ鉄塔とその格好や大きさから、二人は命名し、その鉄塔の根元に秘密のメダル(ビールの王冠ですが)を埋めていくのです。 見晴くんは武蔵野線鉄塔の行き着く果てには、きっと原子力発電所があると確信しているのですが・・・。
199×年夏から秋にかけての、奇妙でノスタルジックな一冊。第6回日本ファンタジー大賞受賞作品です。

鉄塔 武蔵野線:銀林みのる著(新潮社)
軽兵衛