水はめぐる:首都圏の水源・多摩

青と緑(2):花森俊一

東京市の水道

多摩地域には南に多摩川、北には玉川上水が流れていたが、いずれも戦前より東京市の水道に組み込まれ、東村山に貯水池(多摩湖)を造り、境(武蔵野市)浄水場で浄化したものを東京市民に供給。 地元多摩市民には利用できないようになっていた。 では地元は何処から水をとっていたかといえば、従来は浅井戸であった。
戦後の人口急増、産業の活性、生活の向上から雑排水が増え、浄水層も普及したが、下水道がないため地面への直接吸い込みで排水処理することが多くなり、汚染が著しくなった。 伝染病の発生も増え、安全な上水道の必要から、各市町村は深井戸による上水道の公営に踏み切ることとなった。
昭和38年には、水資源の確保を目指し「三多摩地区給水対策連絡協議会」が発足し、4市1町が水道管を接続し、緊急時には互いの対応が可能に。 翌39年オリンピックの東京の異常水不足時には、この管を利用し、多摩の市町は23区へ良質の地下水による水を届けたのである。
K市の水道水は、井戸の深さ150mから250mにも及ぶものを20本使っている。 海抜が40mから75mとなるので、東京湾の海面より深い処の水を使っていることになる。

鈴木誠一(小金井市初代市長)