いよいよ、「武蔵野から」がはじまります。さて、「都市の歩き方」の枝川さん、「武蔵野の歩き方」はいかがでしょう。(イラストは桑原伸之さん。いつものタッチで友情出演!)
先日、中央線の或る駅に降りました。駅前の喫茶店の2階でオレンジジュースを飲みながら、窓外を眺めていました。 駅舎の向こうに、ひらべったい山が見えるかぎりにつづいていました。素敵でした
江東区のぼくのアパートからも、はるかに山が見えるときがあります。でも、こんなにはっきりと山の姿を認めることはできません。 喫茶店を出て、山へ向かって、少しだけ歩きました。これは、はじめての経験です。
子育て、子づくり、地域づくりにがんばる「谷根千」さん。武蔵野から下町へ、東京の空を、紙ヒコーキで”ヤッホー”です。
私たちの千駄木町、林町も昔は「武蔵野」でした。少しだけ残った大木を眺めながら、遥かな「武蔵野」に思いをはせています。 心を癒す雑誌を期待します。
「その道は、地上の静かで平和な、どこの土地へも通じている小金井の道だ」と、6年前「こんにちは小金井」創刊時にエッセーをくださいました。 その道を歩き、今、「武蔵野から」へ続けます。
「武蔵野から」の創刊を想いながら、地図を大きくひろげて見ていますと、大きな公園が出来るような気がします。 さまざまの人が、黙って何となく集まり、お互いに微笑を交わし、親密な気分になるような楽園を空想します。有難いことです。
谷保天神のお祭りを撮った「ししまいとマンドウ」を、楽しく拝見しました。まさに、生きている武蔵野人の粋ですね。
家族で水族館に出かけたときのことだ。幼い娘が妻に、魚の名前を知りたがっていろいろ尋ねるのだが、驚いたことに、 妻は目の前で泳いでいる鮪とか鰹などの大きな魚の名前がさっぱり分からないのだ。思わず助け舟をだして妻の権威を保ったが、 考えて見れば大変面白いことである。 自宅の前にはスーパーがあって、妻はこの鮮魚売場で切り身を見ると、名前は勿論味、 新鮮度までずばり当てる名人なのに、大きな形をして水槽で泳いでいるとさっぱり分からないとは。
実はぼくが国立市をビデオで10年もの間撮り続けてきて感じるのは、市民にとって知っている筈の地域も、実はあまりにも切り身でしかないということだ。 本誌の役割がこのことにあると思う。
vol.1(1987年3-4月)より