紙ヒコーキ:大岡昇平/大岡信

イラスト:雪子・M・GRASING

はけの道の欅の梢は、この冬も天を突いています。大岡さん、お元気でいらっしゃいますか――。

大岡昇平(作家)

野川とともに
私は大正15(1926)年頃から野川に親しんできた。今の小金井市中町1丁目に成城の同級生・富永次郎の家があって、よく遊びに行った。 終戦後、昭和23年、半年ばかり寄寓させて貰ったことがあった。金がないので、国分寺、府中まで歩いたり、野川を恋ヶ窪まで遡ったりした時の見聞をもとにして書いたのが「武蔵野夫人」(昭和25年)である。 恋人たちも野川を沿う、囁きの小径に沿って、恋ヶ窪まで行って、恋を意識するのだけれど、その頃のおもかげは、いまはない。一時汚染がひどくて、その後、土地の人々の尽力で少し持ち直している。 しかし「武蔵野夫人」の頃とは、水路はもとより、あたりの環境もちがっている。
あれは記念碑的作品とうぬぼれている。


中学校の国語の教科書(光村図書)で、大岡信さんは、言葉の力を桜の花びらに例えて、「人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまう」と語っていらっしゃいます。 大岡さんは、深大寺のの近くにお住まいでしたね。

大岡信(詩人)

最近わたしの家の近くにある小学校が、市の予算措置によってだろう、見違えるほどの模様変えをした。 深大寺の寺域に隣接する小学校で、十年余り前には拙宅の娘も通学したところである。 参道沿いの石垣や校庭を守る塀など、なにやら時代劇映画のセットめいた雰囲気さえかもし出して、十年一昔前とはうってかわった懐古的で洒落た外観の学校になった。 それを話題にしながら、これも深大寺周辺の観光価値増大のためにうたれた手かしらなどと言い合っていると、小学校へ通学する子をもったある母親が、別の新事実を教えてくれた。 調布市内のいくつもの小学校で、就学する児童数が年々減少の一途だというのである。へえ、どうしてですかとたずねると、答えはこうだった。
「このあたりも地価高騰のため、若い夫婦でこのへんに住める人がどんどん減っているのだそうです。それで小さな子も減っているのだそうです・・・」
20年ほど前、わたしが深大寺の近くに引っ越した頃は、「不便な田舎に住むものですね」と憐れむ都会人もいたものだったが、ここさえもしだいに若い人の住まないまちになっていくのだろうか。