江戸っ子“金さん”は武蔵野育ち:中村梅之助

演劇、人間、社会

梅之助、といえば、桜吹雪の入れ墨姿もあでやか、ご存知「遠山の金さん」は余りにも有名です。
あれから17年――。梅之助さんは翫右衛門亡き後の前進座の座頭でいらっしゃいます。この夏はお膝元吉祥寺の前進座劇場で「俊寛」を上演。 これは翫右衛門の名演技が今もファンに語りつがれている作品です。

全国津々浦々に巡演する前進座ですが、57年にこの劇場ができたのも「ひろくひろく全国からの支援があったから」と梅之助さん。 「演劇は、現代そのままを舞台に再現できる。赤穂浪士も討入後3ヵ月で上演されている。“生きる”こと、人間と社会の関わりです」

終戦直後、「権三と助十」は、60人の出演者に観客3人のこともあったとか。それでも舞台に情熱を燃やすのは、命がけの演技を客席に伝えられ、 そこから明日への活力を生み出せるからと、桜吹雪ならぬ大きな眼を輝かせます。

武蔵野・多摩随一といわれる劇場を持つ前進座は1700坪の敷地に団員150人の半数以上が共同生活を営み、かつては保育園までありました。 保育園は団員の子どもたちより近所の子の数が多くなって、市営を建設してもらったそう。

観衆と共同作業

――梅之助さんは武蔵野育ちですね

「ええ、ひいおじいちゃんの代からの江戸っ子。池之端で生まれて8つの時吉祥寺へ。あの頃の武蔵野はねえ。水がうまくて。 井の頭の池にはアカンベラっていうタナゴがいっぱい。雨の降った翌日にはコイが流れてきて、それを釣る。見つかって竿を折られたり。万助橋を越えた御殿山・・・」
梅之助さんの目は、懐かしそうに少年の日々を追いかけます。

昭和24年の夏、その井の頭公園で前進座は一大ページェント「真夏の夜の夢」を上演。梅之助さんは19歳。裏方を手伝いました。
「そうです、役者は一人じゃなにもできない。お客さんとの共同体験でしょ。そこが厳しくもあり、素敵なことでもあるわけです。 観衆が役者を支え、批評して、より良くより高いものを創り上げる。それが300年、400年積み重なって今に伝承されている。伝承文化は一方通行で育つものではないですね」

「俊寛」のスチール写真の撮影を終え、化粧を落としてさっぱりとした姿で現れた梅之助さんでした。
役者の素顔―アクティブを促す精神―は静、そして強靭です。
時々セリフの言い回しで朗々と話されて、舞台に一緒にいる錯覚さえ感じました。