今を遡ること数十年、国分寺に住み、5~600点(!)もの作品を生み出したアーティストがいました。児島善三郎、知る人ぞ知る洋画家です。
彼は画家としての生涯の最も充実した43~57歳の時に、この地でその豊かな創造性を発揮したのです。とりわけ、崖線や田園風景を通して。
ガイドはこの地域や文化に造詣のある写真家、オオタ・マサオさんです。
「ペーパーシアター方式」で絵や地図・写真などを紹介しながらのフィールドワークです。
児島画伯の絵は抽象ではなく、具象です。風景画を見れば、それがどこの風景かというのは誰が見てもわかります。
かといって、写実とも異なります。
ガイドのオオタさんの解説によると、それは画家の目・心というフィルターを通した結果であるとのこと。
作品として描かれているのは、ある意味、画家の心象なのです。
そうした絵と目の前にある現在の風景を見比べながら、フィールドワークは進んでいきました。
今回の参加者の中には児島善三郎や国分寺の地形・歴史に詳しい方もいらして、各ポイントでの解説はみんなの中で膨らんでいったり、(興味深い)脱線をしたりと、とてもインタラクティブなものになりました。
ただ一方的に話を聞くのではなくこんな双方向のキャッチボールがおこることが、フィールドワークの醍醐味かもしれません。
とある、文字を持たないプリミティブな民族の文化でこんなのがあります。
彼らは狩猟採集で周期的に徒歩で移動しながら暮らすのですが、そうした中、自分たちの土地にある植物、動物、岩や水場、地形、そしてトーテム(神様)を歌に歌い、その歌をたどりながら旅をするのだそうです。
そうすることで、世界は彼らの中で「そうぞう」されるのです。
すぐ足元にある土地のことを知り、それがどのように「そうぞう」されたかを知ること、そのもう一つの世界の中を歩くことは、実は今も昔もすごく「豊か」なことなんじゃないかと感じました。