きりぎりす:太宰治著

ハラビロカマキリの日光浴:松山史郎

きりぎりす:太宰治

「おわかれいたします。あなたは、うそばかりついていました」
裕福な家に育った「私」は、親の反対を押し切って「死ぬまで貧乏で、わがまま勝手な絵ばかり」描いているはずの画家に嫁ぐ。 けれども、夫の絵も地位も世に容れられ、淀橋のアパートから三鷹の大きな家に移り生活が潤うにつれて、夫の性格や態度が軽薄で汚らしく思われてしょうがない。 出世などとるに足りぬ、「わざわいが起こってくれたらいい」とさえ考える。
倫理は、わが身を責めさいなみ、他人さえも奈落へひきずりこまずにおかないことがある。
倫理観はエゴイズムと同義である。――夫が堕落したのではない。世に顧みられぬ以前の芸術家たる夫に、「私」の倫理の影を映し見ていたにすぎなかった。 くだけて言えば、倫理的な関係などあるわけがないのだ。だからこそ、妻は夫の顔色をうかがい出世を望み、夫は夫で妻子の機嫌をとりつつ男の甲斐性として、波乱なく人並みの暮らしをしたいと念ずるのである。 おそらくそれが家庭の平和であり、社会の常識に相違ない。
はやりの「不倫」という語が、家庭の平和をビクともさせない生半可な今の時代には、「きりぎりす」が哀しくその羽音を響かせることはないだろう・・・。
太宰31歳、昭和15年に発表され、同17年「燈籠」「女生徒」他とともに「女性」の表題で刊行された。

軽兵衛