みみずのたはごと(抄):徳冨蘆花

「みみずのたはごと(抄)」徳冨蘆花著(現代日本文学大系9・筑摩書房)

「彼美的百姓は曾て都の美しい娘達の学問する学校で、『女は土である』と演説して、娘達の大抗議的笑を博した事がある」
今、女子大生を前に同じことを喋ったら、やはり笑われるだろうか。訳がわからずキョトンとするのだろうか。
きれいなもの汚れたもの、弱いもの強いもの、一切のものを包容し、耐え忍び、あらゆる命を育む土と女性には、共通するものがあるというのだ。 「母なる大地」という言葉を聞けば、「なあんだ」と思うかもしれない。
さらに、「農の弱味は女の弱味である。女の強味は農の強味である。・・・・・・(略) 常に負ける様で永久に勝って行く大なる土の性を彼らは共に具へて居る」と続く。農、土を自然の語に言い換えても良いだろう。

徳冨蘆花といえば「不如帰」“あゝ辛い。――もう女なんぞに生まれはしませんよ”という浪子の嘆きが有名で、いまだに新派の舞台によくかかる。
その蘆花田園随想。今から80年前、「家を持つなら草葺の家、而して一反でも可、己が自由になる土を有ちたい」と、現在は世田谷区粕谷に都落ちした彼は45歳である。 趣味としての田園生活。東京から唯三里。東南は都会の風が吹き、北は武蔵野という位置で、彼は田舎をひけらかす。「美日」という言葉、田園の優越が魅力的である。
雄々しき「父の時代」に書かれたこの本を「父なき時代」から「母なき時代」に瀕する今、手にとってみると実に興味深いものがある。

軽兵衛