風:入江進
沈丁花の匂いに撲たれて、他所の家の塀を見遣ると、虎斑の猫が蹲っている。
眠たそうな目を一筋にひいてこっちを見ている。
「お前なぞ興味ないよ」
といった顔つきだが、こっちはひどく恥ずかしい。不意をつかれてオロオロしてしまう。
犬なら必ず気配を送ってよこすのに、猫はそうではない。すでに空気に中におさまっている。
だから油断がならないのだ。
「猫に名前のつけすぎると」阿部昭(福武書店)は、著者没後に編まれたアンソロジー。
私生活での著者は「娘がいたらこのような心配をして・・・」と玉枝夫人が言うほどに猫への思い入れは相当のものだったらしい。
だが、作品での著者の眼はあくまでも作家のそれである。
飾りを取り払った品のいい酒を呑む心地に似た筆法で、この小さくて不可思議な獣との関わりをたぐりながら、
作家が私たちを堪能させてくれるのは、やはり人生という微妙な味わいの料理である。
例えば、「家族とはなにか」と問うて「・・・形の上では親子であっても、結局のところ、私には彼らの『気が知れない』のである。
もちろん、私とて彼らの幸福を願いはするが、彼らの今後の人生における愛や憎しみ、苦しみ楽しみを私が自分のものにすることはないだろう。
彼らもまた私のそれを理解はすまい。・・・その点、子供といえども犬や猫同等、もしくはそれ以下であり、私としてはむしろ家にいる猫のほうに人間的な感情を強く抱くことがあるくらいである」
(本書「断章」より)。
本当だから、苦くても舌になじむのである。
阿部昭、1989年没。54歳。
軽兵衛