紙ヒコーキ:群ようこ/山田太一

ベニシジミの日光浴:秋山史郎


電話で「群さんはHanakoみたいですね」と言ったら向こう側で「!?・・・・・・」。 「群ようこのできるまで(文芸春秋)」面白いでした。

群ようこ(エッセイスト・武蔵野市)

編み物一番、読書が二番、三・四がなくて五に原稿書きというのが私の生活パターンである。

原稿は何日も書かなくて平気だけれど、忙しくて編み物ができなくなると、私の目つきは明らかに険悪になる。

毛糸を触っているだけで心がなごんでくるのだ。ともかく編み物をしたいその一心で原稿を書いているといってもいい。

しかし編むことは好きだが、編み上げた作品には執着がない。今までに百何十枚も編んでいるが、ほとんど友人にあげてしまって二割程度しか手元に残っていない。

ただ編むことだけが好きなのかもしれない。よく「割の合わない趣味ですね」といわれるのだけれど、編み物は私の緊張した気分を落ち着かせるために欠かせないものなのである。

vol.10(1988年11-12月)より


朝日新聞に連載された「丘の上の向日葵」。小説中の情景の一つの場所となった府中駅前。 そこに佇むと、夕刊を心待ちにした日々が思い出されます。

山田太一(作家・川崎市)

新聞に書いた連載小説「丘の上の向日葵」を単行本にするために手を入れています。

結末で主人公が向日葵になってしまったような味を狙ったのですが、150回で終わろうとしたために、少し急ぎすぎました。 そのあたりをじっくり、と思っています。

連載が終わった日、河合隼雄さんに
「主人公が終わりに植物になってしまうという発想は、風土記の時代からあるんですよ。 日本人の深層に、そういうものがあるんですね」

と声をかけていただき、読んでくださったことを含めて嬉しく、力を得ています。 本にする時書き直すなんてずるいじゃないか、とお怒りになる方もいるかもしれませんが、どうしてもそうしたくなったのです。

もうすぐにオーストリアへ発ちます。来年秋のNHKドラマのための取材です。 定年後の夫婦と外国を素材にして、いろいろなことを描いてみたいと意気込んでいます。

vol.11(1989年1-2月)より