紙ヒコーキ:椎名誠/北川米彦

雑木林の落日:島峰譲


「都会(まち)のターザン」椎名さん、お元気ですか?

椎名誠(作家・小平市)

家の周りからすっかり雑木林や原っぱが消えてしまい、玉川上水も両側に無粋なフェンスが張られて「武蔵野散歩」の場がほとんどなくなってしまった。 そこでまだ自然そのままの海や川を求めて、数年前から北海道脱出作戦をくわだてているのだがなかなか実現しない。 土地の取得もそこまでの道の工事も終わっているのだが、地元の受け入れがあまりにも熱烈歓迎すぎておそろしくなってしまったのである。 むきだしの自然と静けさを求めての移住の予定だったのが、今のままではかえって根本的なプライバシーが奪われそうになるのである。 うかつに動くと地元の政治に利用されそうな気配もあるので、今はほとぼりのさめるまでじっとしていることにした。
自然は消えたが都会の方がかえってやすらぐ、という奇妙なパラドックスを実感している今日この頃である。


井の頭公園の南端に俳優養成所「青二塾」はありました。
まさしく、武蔵野がロケーションですね。

北川米彦(青二塾塾長・武蔵野市)

そもそも武蔵野暮らしのはじまりは5歳くらいからのはずですが、はっきり記憶にあるのは小学生になってからのようです。 近所の森では夜になるとふくろうが鳴いていました。 お祭りの夜、神社に行くのにどうしてもその森を抜けなければ行かれず、誘いあった子ども同士わざと大声出して通り抜けたり。 持ち主のわからない(本当はいたんでしょうけど)田んぼがあって、せりが一面に生えていて、鍋物の時は勝手にとりに行って誰も文句をいわれない、とか。 どぜうの湧くたまり(何故かどぜうは湧くものでした)は子どもなら誰でも知っている秘密の場所だし、近所にはうなぎ手づかみの名人も住んでいました。
いろいろ書きましたがこれは京王線上北沢周辺の50年前の風景です。 武蔵野の一角に住んでいた実感のある風景です。今、こんな実感を求めて生活するとしたら、武蔵野ってどのへんにあるのだろう。