紙ヒコーキ:北川米彦

井の頭公園の南端に俳優養成所「青二塾」はありました。
まさしく、武蔵野がロケーションですね。

北川米彦(青二塾塾長・武蔵野市)

そもそも武蔵野暮らしのはじまりは5歳くらいからのはずですが、はっきり記憶にあるのは小学生になってからのようです。

近所の森では夜になるとふくろうが鳴いていました。

お祭りの夜、神社に行くのにどうしてもその森を抜けなければ行かれず、誘いあった子ども同士わざと大声出して通り抜けたり。
持ち主のわからない(本当はいたんでしょうけど)田んぼがあって、せりが一面に生えていて、鍋物の時は勝手にとりに行って誰も文句をいわれない、とか。

どぜうの湧くたまり(何故かどぜうは湧くものでした)は子どもなら誰でも知っている秘密の場所だし、近所にはうなぎ手づかみの名人も住んでいました。

いろいろ書きましたがこれは京王線上北沢周辺の50年前の風景です。

武蔵野の一角に住んでいた実感のある風景です。今、こんな実感を求めて生活するとしたら、武蔵野ってどのへんにあるのだろう。

vol.12(1989年3-4月)より