どっこい土と生きている。:藤本敏夫

生活という分母でくくる

「花札にフケルというすごい手があるのを知っていますか? それと同じで過疎地、老人が多いなどのマイナス要因を、生活という分母でくくるとすべてがプラスになるんです」

自然王国の国王でいられる藤本敏夫さんの言葉です。44歳。 ’68年全学連委員長となり、関連で入獄。当時、歌手の加藤登紀子さんと獄中結婚して話題となった。

出所後、共同購入組織「大地を守る会」(調布市)を運営。有機野菜を大手流通にのせた手腕は、企業家としても一目置かれている。
王国は自然生態農場である。20年来の東京の暮らしから移住。新しいライフスタイルの体現と、パイプ役としての可能性へのチャレンジであるという。

「人間の原点である森と草原の生活をフィードバックしたんです。日本の人口の三分の一以上が東京というウォーターフロントに集中しているんですが、里山と田畑にヒンターランドしたわけです」

原動力は、楽しいかどうか

掲げるは、T(トランク=貯蔵)アンドT(トランキー=安息)構想。生活のすべてを他人にからめとられている東京からの脱出を勧める。
――その方法は?

「可能な方法で自然の中で生活することを覚える。かいわれ大根をつくってみることでもいい」

藤本さんの原動力は、楽しいかどうかということ。条件として健康とよい友達を挙げる。 「農業は最高のスポーツですから」
「奥さんは有名人ですしね」と、ちょっとシニカルに付け加えた。

――離れて暮らす夫婦は?

「時々会うほうが、固定観念に捕らわれず客観的に見れていいです。会うときの密度も濃くなるし」
――三人のお嬢さんたちは?

「上の娘は原宿の方がいいらしい。次女は動物が好きなので、休みになると必ず来ます」

――かつて同じ時代の空気を吸った人たちへのメッセージを・・・。

「働き盛りの大人です。頑張ってやってみようと呼びかけたい。20代後半にああいう目をさせてもらったのだから、もういっぺん社会に返す借りはある」

どっこい、全共闘が脈打っている言葉である。

新聞記者になりたい、が学生時代の選択だったという藤本さん。
「生きざまそのものがジャーナリスティックですね」というと、目が少し笑った。魅力的だ。

vol.9(1988年9-10月)より