spring glove:オオタマサオ
「毎晩こうやって星を見るんだ。空気が澄んでいるから、星だけじゃなく人工衛星だってはっきり見える」
漆黒の闇と静寂の中で、老人はやや得意げに言った。
見上げると、コロラドの大草原をおおう満点の星の冷たい光が一斉に僕の上に降り注いできた。
一瞬、絶対的孤独のなかで宇宙そのものと向き合っているような気がした。
老人は数年前、街並みの美しさでは中西部随一といわれるデンバーからこの辺境の地へ移ってきた。
見渡す限り人家はない。
寂寥をなぐさめてくれるものといえばバードフィーダーの砂糖水を求めてやってくるハミングバードや、芝生の向こうに広がる果樹園にときおり姿を見せるシカぐらいのものだ。
おまけに冬は厳しい。しかし、冬が来ても、晴れているかぎり老人は必ずポーチに坐って夜空を見上げる。
まるで、一日の旅を終え、馬の鞍を枕に夜空を見上げながら、孤独なるがゆえの自由を謳歌した荒野のカウボーイのように。
孤独と自由を求めて人生の終着点を荒野に定める――そんな形で自然とつきあうことは僕にはとうていできない。
僕にできることは、せいぜい自然がそっと寄り添ってきてくれたときに、それを受け止めることぐらいだ。
そもそも僕のまわりには大草原なんてない。それでも、自然のほうからやって来て、心の窓を開けてくれる幸せな瞬間がたしかに存在する。ちょうど、あの日の朝のように・・・・・・。
暖かい朝の陽光をまぶたに感じて目がさめた。朝食を終えて、居間の隅の椅子に坐って本を読んでいるうちに、いつのまにか眠っていたらしい。
かすかな香りが鼻をくすぐった。ふと見ると、サイド・テーブルの上のマダガスカル・ジャスミンの蕾がわずかに開いている。
数分前までは固い蕾だったはずなのに。じっと見ていると、実際に蕾の動きが見えるわけではないのに、時がたつにつれて、ほんのわずかずつ先端が割れて、花弁になってゆくのがわかる。
超微細な動きに目をこらしているうちに、時が淀み始めた。香りは甘い濃密さを増してゆく。
やがて時は流れを止め、僕はジャスミンの花が咲き乱れる南国を思い浮かべていた。
大自然と対峙しているあのコロラドの老人に比べれば、なんとささやかな自然との出会いだろう。しかし、ひとつひとつの小さな自然現象にも大自然の摂理が凝縮されているはずだ。
ミクロコスモスのなかのマクロコスモス。
このふたつの宇宙を自由に飛翔している自分を夢想しながら、僕は都市で生活している。
寺地五一(教員)