開催記録
名作喫茶第1回
「ガーデンパーティー」(K・マンスフィールド)
2025年10月19日(日)
参加者6名
みなさん持参の訳は西崎憲、芹澤恵、安藤一郎、崎山正毅/伊沢龍雄、原書とバリエーションあり。物語最後、ローリーの「こわかったのか?」に対するローラの返事「marvellousだった」の訳が「すばらしかった」「不思議だった」と分かれるのはなんでだろう、などの話が出ました。日本語にするとだいぶ意味が変わってしまいますね。
「ガーデンパーティー」を読み解く補助線
ウチとソト
この作品の軸となるのはやはり「ウチとソト」(あるいは「秩序と混沌」「通過儀礼」)なのだろう。慣れ親しんだ人々や馴染みのある場所からなるウチと、そのソト。ローラにとってのウチはシェリダン家のお屋敷で、丘をくだった下の階級のエリアはソト、言ってしまえば異界である。ウチにだけいれば危険はない。しかし往々にして大事なものはソトにあり「人はどんなところにでも行かなければならないものだし、どんなものでも見なければならないもの」なのだ。
冒頭からローラは職人たちの振る舞いに好感を持ったり、お母さん(ミセス・シェリダン)たちにとっては当たり前な階級差別なんてなければいいと感じている。ウチの論理をすべて無批判に受け入れているのではなく、それ以外(ソト)の価値観も取り入れようとする姿勢がある。パーティーの中止を主張してジョージーやミセスシェリダンと対立するところなんかもそうだ。
物語終盤でそんなローラがスコットの家へ向かう。まあ夕方なのでだんだん暗くなるのはわかるし、にぎやかなパーティーと違って静かなのもわかる。しかし影法師のような大きな犬が横切ったりする。この犬、要る? つまり作者はここでかなり意図的にパーティーとのコントラストを際立たせているのだ。明るく楽しく軽やかな人々や音楽に満ちたパーティーの雰囲気と、門を出てからの暗く不気味で気持ちも重い下りの道。今までいた場所とは明らかに違う世界(=ソト)への行路であることを強調する。序盤でジョージ―が歌う「人生は厭わしきもの(This life is weary)」が前もって暗示していた雰囲気でもある。
そんな、すぐにでも帰りたくなるような場所でしかし、ローラは大好きなパーティーのいろいろが取るに足らないものに感じてしまうくらいすばらしい(あるいは不思議な)体験をする。往々にして大事なものはソトにある(2回目)のだ。
元祖・行きて帰りし物語?
こういった、慣れ親しんだウチを出てソト(異界)へ行く構造を持つ神話や物語は各地にある。古くはイザナギが黄泉の国へ妻イザナミを訪ねる日本神話や、オルフェウスが冥界へ妻エウリュディケを訪ねるギリシャ神話などが有名だ。坂をくだる点なんかまで同じなのである。人間の心には、人々の共同体には、時代や地域を超えた普遍的なプロセスがあると言える。
フレイザーの『金枝篇』は、世界中の神話や呪術に関する集大成的な研究で、これが出たのが1890年。『ガーデンパーティー』は1922年。この後、1928年のウラジーミル・フロップ『昔話の形態学』は、登場人物が物語の中でどんな機能を果たすかを分析した。そしてフロイトやユングの無意識の研究、それを引き継ぐレヴィ・ストロース(1962年の『野生の思考』は彼の神話研究の入門書)やジョーゼフ・キャンベルの神話学が続く。
『スター・ウォーズ』はキャンベルの『千の顔をもつ英雄』を採り入れていることがよく知られている。他にも『マトリックス』『羊をめぐる冒険』『千と千尋の神隠し』『モアナと伝説の海』等、この「ウチとソト」「行きて帰りし物語」の構造を持つ物語は枚挙にいとまがない。
そんなモチーフをリアリズム小説の中で、そして短編で書かれた『ガーデン・パーティ―』は、詩情あふれる文体と「意識の流れ」の手法も相まって、実に味わい深い作品といえるだろう。
名作喫茶 云々
