“我らが少女A”を歩く 開催レポート

新小金井・柳橋・多磨霊園

12/16土曜日、主催者を含む13名で、作品舞台を歩いてきました。 当日の天気予報は曇りで少し肌寒い気温でしたが、13時半の集合時間にみなさん遅れることなく集合、主催者からのコースの説明と注意事項のあと、簡単に自己紹介。案内人から簡単な作品のレクチャーと、主催者からこの地域の地形的特徴である“はけ”の成り立ちについて説明したあと、いざ出発!まずは作品中で被害者が長年教師をつとめた東中学校、そしてはけを下り、殺害現場の柳橋を目指します。

「我らが少女A」あらすじと人物相関図

参加者のほとんどが連載小説の読者です。作品に出てくる場所と、その土地の来歴の説明に熱心に聞き入っていました。特にみなさんが反応したのが、挿絵のモチーフになった風景。案内人が「この絵はここですね」と示すと、「おお!」「ほんとだ!」と歓声があがります。土地の来歴については、主催者よりも詳しい方もいて、お互いに情報交換しながら、地域についての興味を膨らませました。

殺害現場の野川公園・柳橋の近くは、考古学的に重要な「野川遺跡」の発掘現場です。ICUのゴルフコースだった面影を残す野川公園を横切り、栂野家がある多磨町2丁目へ。畑と住宅が点在するこの地域は、都市計画道路や都立公園の計画があります。栂野節子の葬儀が行なわれた日華斎場を経て、多磨霊園の中へ。東京ドーム27個分という敷地の都立公園墓地。作品中、ここに勤めるのは、元警察官の浅井隆夫です。管理事務所に入ると作業着姿で働く職員さんたちが。思わず、「浅井隆夫さんはいらっしゃいますか?」と聞いてみたくなるのをぐっとこらえます。お隣にある「みたま堂」は、戦後日本建築史に残る巨匠、内井昭蔵(1933-2002)が設計した納骨堂。一見の価値がある建築物です。こちらの休憩所で一休みさせていただきました。

多磨駅・調布飛行場・警察大学校・榊原記念病院

歴史ある人見街道を通って、小野雄太が勤務する多磨駅に到着。多磨駅では駅改良工事計画があり、東西の橋上自由通路ができる予定です。作品に出て来る地下通路は用がなくなってしまいそう。また、駅西口は交通広場と都市計画道路が建設予定となっており、昭和の味わいのアーケード商店街は風前の灯火というのも、さびしくなってしまいます。作品中ではちょうどここで、同じ時間に現れた浅井隆夫と合田雄一郎の存在に、小野雄太が気付く、というシーンが展開されたばかりです。合田雄一郎がスイクルに乗る姿を想像しながらロータリーを過ぎ、朝日町通りに向かいます。

調布飛行場とその周辺の地域は、「関東村」と呼ばれた米軍移住用施設が1974年に返還された跡地で、2000年から相次いで、東京外国語大学、警察大学校、警視庁警察学校が移設されました。学舎はどれも立派で、「国家権力ってすごいね」「お金かけてるね」といった感想が口々に。合田雄一郎が教授を勤める警察大学校と、その隣りの警視庁警察学校はどう違うの?という疑問が湧いてきます。警視庁警察学校の学生さんはみなさん短髪に黒いスーツでまだあどけない顔の若者たち。こちらは警察官を養成する学校なのです。対して警察大学校は、いわゆる大学ではなく、警察の上級幹部の研修施設。中には宿泊施設やレストランなどもあるそうです。警備の様子も、警察大学校の方が厳しそうな雰囲気でした。

そしてとうとう、ゴールの榊原記念病院に到着!こちらも立派な建物。作品中では加納祐介が入院し、合田が見舞いに訪れる病院です。循環器では有名な専門病院だそうです。参加者のみなさんにひと言ずつ感想をいただき、解散となりました。「思った以上に有意義だった」「また作品を読み返したい」「これからますます作品世界へ入って行けそう」など、みなさんに大好評でした。

はけの学校ではこれまで、「崖線実踏」としてはけ歩きを開催してきましたが、東西にはけをなぞるコースで、今回のように南北に歩くコースは初めて。はけ上から出発し、だんだんはけから遠ざかると、その土地と人間との関わりが移り変わっていくのが感じられ、とても興味深い実踏になりました。
(安田)